いきなりですが、
ショーナイクイズ!!!
Q.庄内に兄弟像(試作像)がある日本で有名なとある銅像とはなんでしょう?
a.上野の西郷隆盛像
b.忠犬ハチ公像
c.こち亀の両津勘吉像
d.伊達政宗像
正解は…
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bの忠犬ハチ公像でしたー!!
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「日本で最も有名な待ち合わせ場所」と言っても過言ではない、
かくいう私も以前ハチ公前で待ち合わせをしましたが、そもそもハチ公の姿形が分からず渋谷駅を1周したのは良い思い出。
さて、そんな日本一有名な待ち合わせの定番「ハチ公像」ですが、この兄弟像が鶴岡にあることを知る人はそう多くない?
ってことで、
そもそも本当に兄弟像がいるのか!
ただのパチモンじゃないのか…!
疑いの目を持って編集部が現場に行って調査してきました!!
場所はここ↓
敷地を正面に見て右側は藤島駅方面↓
左側は藤島庁舎や国道345号線方面です↓
現場に到着すると、たしかにデデェーーンと「ハチ公広場」の看板を発見↓
でもなかなかこじんまりとした場所にあるのね…
渋谷とは大違い…なんて思いながら、
敷地内にお邪魔しまーす…
えぇ?こんな駐車場にハチ公なんて…
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あ、いた。
渋谷のと比べてみても確かに似てる!!
ってか同じじゃないコレ?!
その真相を探るべく、「鶴岡ハチ公像保存会」の初代会長でダルマヤ薬局の高宮宏さんにお話を伺いました!
ずーおー:藤島のハチ公像が渋谷の兄弟像だと聞いたんですが、よく分からないので詳しく教えてください!
高宮さん:厳密には現在鶴岡駅に保管されているハチ公の石膏像が現在の渋谷ハチ公像が完成する前に作られた、いわば試作像なんです。
現在の渋谷ハチ公像と鶴岡駅の石膏像はいずれも彫刻家の安藤士(たけし)氏による創作物。
安藤氏は太平洋戦争で溶解されてしまった渋谷の初代ハチ公像(※実は現在の渋谷ハチ公像は2代目)を再建するため、
初代ハチ公像建設の発起人で日本動物愛護協会の設立者でもある鶴岡市出身の斎藤弘吉氏に指導を仰ぎ、制作にとりかかった。
しかし、第1作品目は自分の思い描いたハチ公像とはならず、再度作りなおされた第2作品目が現在の渋谷のハチ公像とのこと。
ずーおー:つまり鶴岡駅に展示されてる石膏像が第1作品目で、渋谷の像の兄貴にあたるわけですね!
しかし、どういう経緯で鶴岡にハチ公の像がやって来たんですか?
ハチ公像が鶴岡にやってきた経緯と
衝撃の判明までの道のり(タップ)
・戦時中の空襲で東京の自宅とアトリエを失った安藤士は、空襲を免れた住宅をアトリエとして借りてハチ公像を製作。
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・自身の思い描いたハチ公にならなかった第1作目(鶴岡駅の像)を借りた住宅に残したまま、復興した自宅で第2作(渋谷の像)を完成させた。
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・その後、当時女優だった三条みき氏が安藤氏が借りていた住宅を購入。謎のハチ公像(第1作目)を発見。
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・三条みき氏の父で鶴岡出身の佐藤圓治氏が、湯野浜で「冨士屋旅館」を営む同級生の佐藤新五郎氏にハチ公像を譲り渡す。旅館のマスコットとして親しまれる。
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・冨士屋旅館の廃業に伴い、地元土建会社の会長であった太田角之助氏がハチ公像を譲り受る。
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・藤島役場竣工記念として太田氏が役場へと寄贈する。
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・高宮さんが石膏像の台座に「士1947」の文字を発見し、これが安藤士氏による作品だと確信。
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・紆余曲折を経て、高宮さんが安藤氏と面会。「私の作品に間違いありません」と認めて頂ける。
すんげぇーーー旅路だな。
まず、そもそもの初代渋谷ハチ公像の発起人の斎藤弘吉さんが鶴岡出身なのも驚いたし、
ハチ公の試作像が残された家を買われた女優さんの父親もたまたま鶴岡出身だし、
破損もなく、よくここまで残ってきたなぁ…
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ハチ公と鶴岡。
並々ならぬ運命がありますな。
高宮さん:そもそも鶴岡にハチ公の試作像があるということを知らない地元の方もいらっしゃるので、是非多くの方にこの事実とハチ公像の歴史を身近に感じて頂きたいですね。
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ちなみに、今年2023年はなんとハチ公の生誕から丁度100周年の節目らしい!!
皆さんもこの機会にハチ公試作像または複製の銅像を見に行ってみてはいかがでしょう?
PS.ってか駅舎内じゃなく鶴岡駅前にハチ公像設置して待ち合わせの定番にする案とかどう?