アイキャッチ画像は「独立行政法人日本スポーツ振興センター」さまよりご提供頂きました。
皆さんの思い出の中にも1つや2つ忘れられない学校給食のメニューがあると思います。
ちなみに私はハーブステーキってのが大好物でした。(おっと、世代がバレる?)
現代では全国の小・中学校で当然のように提供されている給食ですが、その始まりを知る人は少ない(?)かもしれません。
そしてそのルーツが意外にも我らが庄内の鶴岡にある…ということも。
さて、ここで庄内クイズ。
Q.給食を日本で初めて提供したのは鶴岡のどこだったでしょう?
a.お寺
b.役場
c.警察署
d.工場
正解は
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aのお寺でした!
ちなみにお寺の名前は「大督寺」さん。
場所は致道博物館からほど近いここ↓
遡ること明治22年(1889年)。
鶴岡の大督寺の中に建てられていた私立小学校にて、和尚様が貧困家庭の子どもたちに無償でお昼ごはんを用意したのが始まり。
食材は檀家さんから頂いた米やお金で賄っていたとか。
神様仏様とはまさにこの和尚様のことであります。
その後大正12年(1923年)頃に国から奨励され全国に広まっていったとな。
ちなみに、鶴岡の学校では年に一度程、この起源を記念した学校給食が提供されます。
内容は明治22年当時に提供された給食そのもの。
それがこちら…
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「いや、めちゃめちゃ手抜きじゃん!!」
って思うでしょ?
でもうめぇんだ、これが。(シンプルイズベスト補正)
大人になってからふとまた食べたくなる学校給食。
このルーツを知ると尚さら食欲が…
さすがは“食文化創造都市・鶴岡”と拍手を送りたくなります。
庄内に生まれたことをちょっと誇れるような小話でした。
PS.”牛乳瓶の蓋開け名人”と”食いしん坊将軍(残飯処理)”がクラスに一人はいた。